その昔あふれていた個人サイトは、今や数えるほどしかない。 SNSや作品投稿システムが普及していることが一番だが、それらがどんなにユーザーに不利益をもたらそうが、ユーザーが利用をやめることはない。一時期「今こそ個人サイト時代に回帰する時」などと言われていたが、結局はその便利さと人口の多さを考えると、サイト作成・運用の手間とデメリットの方があまりに大きいのは一目瞭然であり、実際にサービスの利用をやめてそちらにシフトした人はそうそういないと思われる。
そんな中、私は各種サービスに置いていた作品のほとんどを非公開にし、個人サイトを作成するに至ったのだが、上記の「ユーザーへの不利益」とはまた別の理由である。簡単に言えば「勝手に自爆して疲れてしまったから」である。
ふとハマったジャンルがマイナーで、自分の好きなキャラやカップリングの二次創作をしている人がまったくおらず、10年近くのブランクを経て再開した創作活動。最初は人の目など気にせず、ひたすら自分が作りたいものを作っているだけで楽しかった。趣味の創作なんてそんなもので良いのだ。
しかし、コンテストという他人に評価される場に参加した辺りから、それが崩れ始めた。もちろん自分の作品が優れていると思っているわけではないし、「お前の作品はゴミだ」などと言われたわけでもないし、たくさんの方から反応を頂けてありがたかった。コンテストという枠に囚われず、純粋にそのゲームへの愛を表現したいという気持ちだけで投稿できていれば良かった。しかし「参加するからには」と無駄に気合いを入れて描いてしまい、それがネタ枠にすら入れてもらえなかったのが非常にショックで、もう絵を描くのはやめようと思ったほどだった。
こうなると「自分の作品はダメなのだ」ということを意識するようになってしまい、モチベーションが落ち、過去の作品が恥ずかしくなる。サイトのギャラリーの作品が極端に少ないのもそのためで、「よくこんなくっそ下手な作品を堂々と出したな」と、どんどん自分の作品が嫌いになる。「その時は頑張って描いた、楽しんで描いた」という過程などどうでも良くなり、作品を直視することもできなくなってしまう。これは、その作品を良いと言ってくださった方々に非常に失礼なことでもあるのだが、思考の癖を変える方法がわからないのだ。
そして、SNSで絵の上手い人が「もっと上手くなりたい」と言っているのを見て、「ああ、やはりみんなそこを意識するのだ」と実感し、「下手な自分こそ、本当はもっと意識を高く持ってガンガン練習しないといけないのだろうな」と勝手に気を張ってしまう。「上手く描けないな」と思いつつ作った作品を出して、それに対する反応が薄いと「そうだよな。他の人にはあんなに反応があるのに、やはり自分の作品には魅力がないのだ」と思ったり、他人のすごい作品と比較して「自分なんかが描かない方がいいな」と思ったりしてしまう。そうして悪循環に陥り、創作を素直に楽しめなくなってしまった。
他人を評価基準にするのは良くないとわかっていても、それに関しては昔から本当に変わらないというか、前述の通り変え方がわからないでいる。仕事では意識を高く持っていなければならないのだから、趣味くらい気楽にやれば良いのに、どうしても勝手に疲れてしまう。
仕事は、自分の作ったものに対して明確に評価が下され、成果も見える。長年頑張ってきたことで得た知識やスキルを生かすことができており、着実にレベルも上がっている。評価を求めるのであれば、仕事だけやっていれば良いのだ。
しかし、自分にとって創作はそんなものだっただろうか?楽しくてしょうがなくて、どんなに忙しくても疲れていてもわずかな時間を使い、夢中で作る。「下手だと思われるかも」などと気にすることなく、できたよ!見て見て!と勢いで投稿する。同じ作品・キャラを好きな仲間と妄想を膨らませる。大好きな作品と創作活動が生活の中心にあり、そのために他のことが頑張れる。そういう存在だったのではないか。
これでまたフェードアウトしてしまうのはあまりにも悲しすぎると、そこから色々と分析した。
昨年、懲りずにまた別のゲームのコンテストに応募したのだが、これまたかすりもしなかった。そこで初めて「私は自分の描きたいものを描いているだけで、テーマに沿っておらずその場に相応しくない」ということに気付いたのだった。お祝い系の企画なのにキャラに笑顔がない、明るい雰囲気ではない。「好きなキャラをかっこ良く描きたい、このキャラのかっこいい所を見てほしい」という自分勝手な主張が前面に出すぎていて、本来の目的を見失っている「空気の読めない作品」になっていたのだ。
下手というだけで落とされたわけではないだろうが、下手であればなおのこと「テーマに沿った、運営やユーザーに求められている作品」を意識しなければならなかった。そこがしっかりしていれば土俵には上がれるはずだ。逆にそこを無視して自分の描きたいもので勝負するのであれば、誰もが驚くプロ顔負けのクオリティか、予想の斜め上を行くような内容でなければならない。それができないのに評価してほしいと思うのは贅沢というものだ。
「自分の作品はダメ」と思考停止して切り捨てるのは簡単だが、要は「意識や工夫はしていても努力というほどのことはしていないのだから、それなりのものしか作れないのは当然であり、その状態で評価や反応を得たいのであれば需要を意識するしかない」というだけのことだった。
しかし依然、「他人の目が気になる、他人の作品と比較してしまう、それでも誰かに見てもらいたい」という状態には変わりがない。であれば方法は一つ、自分のテリトリーだけでひっそり活動することだ。
そして行き着いたのが「個人サイトをベースにする」という道だった。自分にとって、SNSや創作との最も適切な距離感がこの形だったのかもしれないと思う。
さて、その場で一切反応できない個人サイトは、実に自分に合っている。
SNSや投稿システムが当たり前になり、PCユーザーもすっかり少なくなった今、「どこかのリンクやお気に入りからアクセスしなければならない」という手間をかけてまで見ようとする人は稀だ。そのため一人でも来てくだされば、その方はもはや神の中の神である。土下座ものである。
そうして「反応がなくて当たり前」の状況を作ることで、「見てもらえるだけでありがたいこと」とハードルを下げることができ、見てくださった方をちゃんと大切に思うこともできる。もちろん、誰がどの作品を見たかまではわからないが、サイトへのアクセス数は計測している。以前Xにて、「1件でもいいねがあるのに『反応がない』と言うのは、いいねした人をないがしろにしている」といった内容のポストを見てハッとさせられた。
ちなみに、作品へのいいねボタンくらいはあっても良いかと検討しているものの、既存のプラグインは今のページ構成では使えないため、自作でもするしかない。
とりあえず、この状態にすることで変に色々と意識せずに済むので、また以前のようにクオリティや反応を気にすることなく、作ること自体が楽しいと思えるようになるかもしれないと考えている。
自分が非常にめんどくさい人間であることは重々承知だし、ネットに自分がいなくとも誰も困らない。ただ、また大好きな二次元や創作から遠ざかってしまいたくない、隅っこにしがみついてこっそり存在していたい、自分のための工夫である。
ちなみに個人サイトの名前は、月が好きなのでそれに関する内容にするつもりだったが、パッと思いついた&万年ぼっち体質の自分らしいと思った「opacity: 0;(存在はするが見えない状態、透明を表すCSSの構文)」とした。デベロッパーツールを開いてタイトルエリアを選択し、ページをスクロールすると、サイト名が「opacity: 0;」になる様子が見られてちょっと面白かったりする。
コメントを残す